上山温泉発見についてのノート・2


湯上和気彦著『上山の湯と宿』について

『上山見聞随筆』から一旦離れて、湯上和気彦著『上山の湯と宿』を参考に僧月秀についてアプローチしてみたい。通説では肥前国(現佐賀県)杵嶋郡、あるいは同国杵島とだけあり、字・小字の記述はない。『大日本地名辞書』(吉田東伍著)によると杵島郡には杵島郷・島見郷・多駄郷・能伊郷などが存在するが、そのうちの何処が月秀の出生地であるのか不明のままである。

それについて湯上和気彦氏は、根底では「月秀上人説」に立脚したうえで、杵島郡杵島郷の生まれではないかと推論を示している。その理由は、まず何より郡名郷名が同じであること。杵島郡には柄崎温泉(現:武雄温泉)があり、南隣の藤津郡塩田郷には嬉野温泉があり、両温泉共に『肥前風土記』に記されている古い温泉であるばかりではなく、共通して神功皇后開湯伝説があること。また嬉野温泉には『社会科辞典』(平凡社刊)によると発見端緒に「鶴」が存在すること。以上のことから月秀は杵島郷でも嬉野温泉に近いところの人物なのではないかと記している。

温泉発見の年代についても、前掲の湯上和気彦著書から覗いてみるとどうなるか。 『上山見聞随筆』には「長禄2年(1458)」と記載。しかしながら『上山市史』別巻下によると「正和年間、長禄元年、長禄2年、長禄3年、長禄年中、後花園帝代」の諸説が併記されている。

正和年間(1312~1316)説は、明治29年(1896)刊『上山温泉誌』(河合孝朔著)による。書中「発見」の項から引用してみると「発見当時の事を知りたくて再三浄光寺へ行き住職良融師(第27世:良融上人圓亮和尚—引用者註)に尋ねたが記録もなければ記憶もないという次第。残念ながら『山形県鉱泉史』にあるのをそのまま紹介する」として「後花園帝の時〜」と続くのだが、それ以降の話はやはり月秀上人の諸々の説話に酷似しており、その年代に関する記述だけが違う内容となっている。つまり『上山温泉誌』によれば発見は鎌倉末期の花園帝時代ということになる。そして、この資料は非常に重要であることが分る。なぜならこの説の依拠した資料が発見確定されれば、将来的に月秀説が簡単に覆ってしまうからである。『上山見聞随筆』等によると月秀は寛正4年(1463)に64歳で没している。とすれば月秀の出生は応永7年頃(1400)と推定でき、正和年間とは80年以上の隔たりがあることになるからだ。つまりこの説に拠れば発見者が月秀上人ではありえないことになる。

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