戊辰戦争縁の地巡り

五月、東善寺における「小栗まつり」(※参考1)に行ってから半年も経過しているのに、ほかのどこにも行けてない。時間がとれずジリジリしているうちにもう間もなく12月。今年もあっという間に終了だ。で、いま、見逃してはならない企画展が開催されているので、思い切って行ってみようと思っているのが、千葉県木更津市の「郷土博物館・金のすず」で開催されている「幕末の木更津ー請西藩主林家の資料を展示公開ー」だ。

戊辰戦争期の請西(じょうざい)藩主・林忠崇(はやしただたか)は特異な道を歩んだ。遊撃隊(※参考2)による助力要請に対し忠崇は旧幕府側に与することを決し、自ら脱藩して同藩士たちとともに遊撃隊に合した。房総や相模において新政府軍と抗戦したのち、旧幕府勢力の制する東北各地を転戦。このような忠崇の行動は新政府の怒りを買い、明治元年(1868年)に改易となった。請西藩は、版籍奉還、廃藩置県を待つことなく、戊辰戦争によって改易された唯一の藩でもある。

そして近くには新選組にかかわりのある「流山」もあるし、ついでに都心の三田「薩摩藩邸跡」や麻布の「上山藩上屋敷跡」などもついでに廻ってきたいと思っている。国立公文書館や国会図書館なども実際行ったことがないし、元気に動き廻れるうちに、長期休暇は無理なのでせめて1泊2日のミニ幕末小旅行をと考えている。初老のささやかな愉しみである。

(※参考1)「小栗まつり」

(※参考2)遊撃隊は、14代将軍徳川家茂死後に結成された幕府軍の部隊である。慶応2年(1866年)10月22日、講武所師範や奥詰め幕臣らによる銃撃隊の再編成によって「遊撃隊」が結成され、槍術家の高橋泥舟や剣客の榊原鍵吉などが頭取を務める。戊辰戦争期には抗戦派と恭順派で意見が分かれ、抗戦派がさらに二派に別れた。一隊は村越三郎が率いて彰義隊と行動を共にする。もう一隊は伊庭八郎・人見勝太郎・岡田斧吉・本山小太郎ら36名から成り、榎本武揚艦隊の協力を得て江戸を脱出。閏4月3日には請西藩主・林忠崇と同盟を結んで決起した。各地に転戦を続けるうちに脱走兵による隊士も増え続け、およそ300名となった5月、上野戦争に参戦を図ったが敗退。その後も奥羽越列藩同盟軍に加わり抗戦を続けたが請西藩が恭順となり両同盟崩壊とともに隊士達の戦死・降伏が相次ぐ。伊庭・人見ら90余名のみが榎本艦隊と共に蝦夷地へ渡り、箱館戦争に身を投じた。箱館では主に松前守備を担当した。(参照:ウィキペディアより)

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