幕末のことを知れば知るほど、複雑かつ残念な気持になる。センチメンタリズムと言って一蹴されるかもしれないが、戊辰戦争があのような形で戦われた経緯について、やはりやるせない感情が強烈に残るからである。
奥羽での戦火ばかりではない。せっかくわが国の近代化を目論み、着実に歩を進めつつあった優秀な幕臣たちがいたのに、倒幕派は徳川時代の遺制の全てをリセットしようとして動いたことが悔やまれる。
開明派幕臣たちの挑戦と、倒幕→新時代の創造をめざしていた勢力、この二つのベクトルを融合して新しい時代を切り拓くための新たなベクトルを創出するチャンスは何度もあったはずなのだ。
倒幕派には次代への国家ビジョンが豊富にあったとは考えにくく、近代化を推進する為の具体的なプログラムもそんなにはなかった。にもかかわらず結果的には憎悪をむき出しにして旧幕府勢力をねじ伏せようとした罪は大きいと考えられるのである。軟着陸(ソフト・ランディング)こそ、その後の明治新政府が歩んだ戦争(海外拡張主義)へのプロセスを考えても、最良の近代化プログラムだったのに……。
歴史にifはないことぐらい承知だが、知性派の旧幕臣たちが内戦で殺されることなく新しい政府により多く参加していたら、公議の意味が文字通り履行され、帝国陸軍を中心とした軍部(山県有朋が軸)の暴走を簡単には許さなかったと考えられるのである。
これが現在的に感じている筆者の「幕末」観である。もちろん根拠も含めて詳細な論述が必要だが、情けないことに、いまはその印象を書き記しておくだけの力しか筆者にはない。