4人の若き古文書解読者から成る集団「やまがた好古酔連」の近況をお知らせしたい。
6月1日発行予定「やまがた街角《夏》」(八文字屋刊)に、メンバーのひとりである佐藤正三郎氏(上杉博物館学芸員)が、論考を寄せている。前号の田中大輔氏についで「やまがた好古酔連」第2回目の発表ということになる。
山形市内の旧家(乃し梅佐藤屋、後藤又兵衞旅館)に残されていた古文書から、かつてあった山形市の南・北の両大火についての記述を紹介しながら、大火の実相にアプローチしようとしたものといえる。実記録は、さすがにのちに「年表」として綴られた情報からでは伝わりようのない、被災している人々の生々しい、そして繊細なニュアンスを私たちに伝えてくれる。身近にある古文書の大切さと、それを繙くことの有意味性をも私たちに示していると言えよう。一読をおすすめしたい。
〈参考資料〉
「山形市南大火」とは、明治27年(1894)5月26日、蝋燭町を火元とし強風によって火の手は四方に広がり、約10時間燃え続け、十日町・八 日町・三日町・小姓町など、市街南部を中心に実に17ヶ所に及んだ。そして焼失軒数は1608戸を数えた。
「山形市北大火」とは、明治44年(1911)山形市恒例の「薬師祭」が開催される5月8日 に発生し、七日町・旅篭町・六日町など6町にわたって1300戸を焼いただけではなく、県庁・警察署・市役所・図書館・山形中学校など公共建築を焼き尽くした。