2013年2月8日にも書いたが(下記サイト参照)、歴史の綾は実にデリケートなものである。
ここで上に掲載した内容と関わる、歴史の綾の微妙さを物語る話を、血脈の視点からもう一つ書いておきたい。
それは、時の上山藩主松平信庸(のぶつね)の父信宝(のぶたか)の正室が戸沢右京亮正胤(うきょうのすけまさつぐ:正実の祖父)の娘秀姫であったことだ。その秀姫が上山に嫁いで間もなく17歳で亡くなるという不幸な出来事がなかったら、両藩の深い絆は継続し、状況はかなり違っていたように思えるのである。
なんとも言いようの無い歴史の綾の不思議さである。
写真は、その新庄藩主戸沢右京亮正胤から上山藩主松平信宝に宛てた書状。