詩人「川英治」の全4作品

2014年9月19日付で簡単に紹介した「川英治」という詩人について、調査を終了しましたので結果を掲載しておきます。当時のブログには「川英治」の詩作品について2篇だけ残されていると記したが、その後さらに2篇の作品の存在が確認され、全4作品ということになる。
さて、上山には、大正末期から昭和初期にかけての詩人として、山形県における近現代詩の黎明期を担った代表的抒情詩人・鈴木健太郎がいる。 彼は、自ら編集発行した多くの詩誌のみならず様々な媒体で活動していた。そのひとつに「朱鳥」がある。この雑誌には上山在住の表現者だけでなく結城哀草果、板垣家子夫、須藤克三らも投稿し、この時代(大正末期〜昭和初期)の物としては結構広域的なものであった。

その「朱鳥」に、無名の、しかもたった四篇の作品しか残さなかった「川英治」という詩人がいる。 筆者が鈴木健太郎について調べている過程で初めて目にした名前であった。鈴木健太郎は別として、当時加藤吉治、加藤精宏といった詩人はその名を広く知られていたが、さすがに「川英治」の名は様々な詩史資料をめくってみても全く見ることはなかった。さっそく、その全四作品を紹介してみたい。

 

  「冬は恋をぬすむ」

(くるくると花火のやうに散った花束は拾いあげるなよ)

おほぞらは地に落ちてくるあのひびき

枯れきった並樹に意地わるい微笑がゆれて

冬は恋をぬすむ

その荒れくれた手のひらに街は凍てつき

飾窓に過ぎる顔はさみしくあをざめてゐる

 

さくさくと雪をかんで

遠のきまた近づいてくるあの足おと

犬は尾をたれて町かどに吠えてゐる

 

  「陽はうららかに」

めづらしく けふの窓に

陽はうららかに晴れ たり

水色にぬぐはれたおほぞらのさはやかに

裸形のむすめよ野に泳ぎいでて

くろかみに光りをくめよ

 

戸のそとは微風の流れ輝やかに輪を画き

はるかに山ずその落葉樹林は

そのしぶきにぬれ しみじみとゆたかに

太古の夢をはらみてねむる

そぼくなる風景のつばさにいだかれて

初冬の壺に投げ入れられたこの炬火の

静かにもゆるまひるにほのぼのと

ひとすじにけむりたちのぼるところ

ああこのひらけたる情感の丘に

なごりおしき胸の脈うつをきけよ

 

まめぎくのかほりなつかし けふの窓に

陽はうららかに晴れ渡り

つつましきよろこびに充てり

 

  「若樹の枝に」

若樹の枝に雲が流れる

人々よ血潮にむねうつこころ

明けて 暮れて

陽の輝く朝に伸びる

「今日」の野に雪がふる

けんたいと疲らうとを棄てて

子供らの笑ひ声をきけよ

 

  「夜の詩章 かふえ」

窓です 灯です

ここは街の かふえ

田辻を切って流れる黒い風にまたがり

闇の底に浮かぶ火酒の顔です

 

温室咲きの時節はづれの花びらをむしりとり

そこはけむりです ほのほです

夜一ぱいに媚態をつくるまゆずみです

 

たこのやうにすとーぶのまはりに吸いつき

魔すゐ的な支那飲料の香気にしびれ

せまい天井下にゆれる五彩のテープは

ひとりぽっちの情欲です

 

うえとれすよ えぷろんよ

金のいれ歯を見せて唄ってごらん

れこーどは ゆうもれすく

ああ犬のやうに神経がらんぷをかけめぐってゐるよ

この食傷のてーぶるに能手をとって

すっぽりと たましいの一片をほほばり

落ちつきのわるい椅子によりかかる午前十時すぎは

なんと よひどれてみたい心です

 

窓です 灯です

ここは街のかふえ

大空に吠え立つ感情をいろどって

赤々と燃え上がる あるこほるの唇です

 

これらの作品に目を通して気づくことは、「川英治」という詩人は現代まで広く眺めてみても、上山の詩人の中では特異な詩人であるということだ。『野良着』(昭和八年刊)を著した加藤吉治から現代詩人の木村迪夫に連なる系譜=農村を舞台とした社会的なテーマをリアリスティックに表現する世界とは異なり、けっして完成度は高くないが、どことなく人間のエロテシズムや猥雑な精神の領域へ分け入ろうとしている感じが読み取れて、そこに特異性を感じさせられる詩人である。 残念だが、これまでの調査では「川英治」の作品はこの四篇が全てである。ほかに彼の作品の存在をご存じの方がおられたら、是非お知らせ頂けたら嬉しい。

以上、同文を「月刊かみのやま」165号にも掲載しております。

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