NHK BSー2で放映している「岩合光昭の世界ネコ歩き」シリーズをみていて、ふと思った。あの画面全体に流れる穏やかな時間、そして愛しき猫たちが闊歩する何事も起こらない空間。これらってもしかしたら私たち人間の至福の日常性を表現している暗喩なんじゃないだろうか。味わい深いナレーションもふくめて大好きな番組のひとつである。
その独特の時間がながれる映像にオーバーラップさせるように突如銃弾の飛び交う戦場が映し出されたら、それはものすごい違和感だし、一気に私たちの精神は緊張の世界へと連れ去られてしまうことになる。私たちの人生にとって《平和》が尊いのか、はたまた《戦争》する行為もやむを得ないものとして考えなければならない要素なのか……悩まされてしまうのだ。
猫たちが安心して暮せる世界。つまりそれは暗喩として、人間が平和裡に暮さなければならない責務を同時に意味している。その対極には、戦争に限らないが、緊張に満ちた時間を生きさせられる硬直した人生のイメージが出番を待っている忌まわしき領域もあるのだ。
考えてみると、近代以降の《戦争》はいつも個人の位相を捨象して国家間の紛争である。戦う人同士、戦う理由を何一つ有していないにもかかわらず【殺し】【殺される】局面に個別的なシーンで立たされる。この構図はそもそも解せない。そこには秘められたレトリックがある。国家は個人の感情を煽り、いつしか会ったこともない敵国の人々を憎むように操作しだす。恐ろしいことである。これでは世界中の猫たち、安心して昼寝も、うたた寝も、出来ないのである。