上山市立図書館「ふるさと散歩」において講演を行うことになりました。テーマは、まだ誰も書いたり語ったりしたことのないと思われる「藤井松平宗家〈改易〉の謎」についてです。どこまで追えるのかこころもとないのですが、頑張ってみたいと思います。
日時は2022年11月26日(土) 14:00~15:30 定員40名程度(要事前予約)
ところで、先日2022年11月5日に開催された磯田道史氏の歴史講演のテーマも「藤井松平氏」ということでしたが、残念ながら図書館でのイベントと重なり拝聴出来ませんでした(残念!)。ご存知の通り磯田氏はわが国を代表する第一級の歴史研究家ですが、一方「ふるさと散歩」の講師は、どこにでもいる日曜郷土史愛好家のひとりです。ですが素人であるがゆえにわかり易い話になると思います。関心をお持ちの方はぜひ参加して頂けたら嬉しいです。一緒に勉強していくための問題提起になればうれしいなって思っています。
内容については、今年は上山藩立藩400年。そのなかで一番長く統治した大名は藤井松平氏宗家です。元禄10年から版籍奉還までの約170年ということになります。
藤井松平家は徳川宗家に連なる14松平氏のひとつの譜代大名ですが、隆盛期であった下総国古河統治時代、つまり嫡流第6代忠之が藩主の時代ということになりますが、9万石(弟の信通へ1万石を譲って8万石)から突然〈改易〉に追い込まれます。しかもその理由は「あらぬふるまひにより」(徳川実紀)とあります。「あらぬふるまひ」とは何だったのでしょうか?
また、藤井松平宗家の家譜ともいうべき『藤井御傳記』に記された改易の理由はなんと「御狂疾」です。つまりそれは発狂という意味です。気が狂ったために改易されたと書いてあるんです。このような表現こそ実に不可解な理由と言わざるを得ません。では、その改易の本当の理由はなんだったのでしょうか、素人郷土史家岩井哲が気力だけでその謎に迫ります❗
その後、藤井松平宗家は、それまでの徳川家への功績が認められ、家名存続を許され、先に立藩していた信通(忠之の弟)興留藩(1万石)に2万石が加増され→庭瀬(3万石)→上山へと移封することになったわけです。いったん古河で途絶えてしまっていることから藤井松平宗家のことを上山松平氏と呼ぶ研究者もおられるようです。
どうか、日曜郷土史愛好家を応援しに来て頂けたらと思います。お待ちしております。