科学者のことば

 「原発」にまつわる講演とシンポジュームが遊学館で開かれた。講演とシンポジュームが終了したあと、主催者は会場からの質問を受けうけつけた。そこで「科学者」と「一般人」のことばの位相のずれが露呈した部分があった。「科学者」は、瓦礫の処理についての質問に、純粋に科学的論理で言えば「瓦礫の処理の引き受けはやるべきではない」という趣旨の発言をした。それに対して質問者は、受け入れ前に線量検査を充分にすれば、積極的に受け入れて、はやく被災地の瓦礫処理を終わらすべきだと主張。
 複雑な気持ちになった。巷には「つながろうニッポン」だの「絆」だの、スローガンがあふれている割に、あまり被災地の復興が進んでいないことに苛立ちを感じていた小生としては、心情的には一日も早く全国の自治体の協力のもと、処理を済ませて欲しいと考えていたからである。「科学者」のことばと自分の心情の間には、どちらが正しいかという問題ではない位相のずれがあることに気がついた。本質論と心情論の位相の違いである。
 除染についても「それは汚染されている土壌を他の場所に移動しているのに過ぎない」という指摘があった。う〜む、いっそう真っ暗になった感じだ。やはり人間には解決できない、制御できない問題のようにおもえて、暗澹とした気持ちになった。東電の関係者によるいろんな記者会見でみせる彼らの表情を思い浮かべて、さらに絶望感が深まった。
 山口氏が講演の中で読むことをすすめていた国会事故調査会の600頁におよぶと言われている「報告書」をやはり読んでみるべきか、それにしてもどうしたら入手できるのだろう。

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