至上の価値について

人間にとっていちばん大切な事って何か。いや、いちばん大切なものとして思想化すべきものは何か。この、青年期に考えるような命題を、あらためて還暦を過ぎた人間である自分に投げかけてみる。すると、これがけっこう難しい問題である事がわかる。

かつて吉本隆明が書いている。

《……生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数のひとたちを畏れよう。あのひとたちの貧しい食卓。暗い信仰。生活や嫉妬やの争ひ。呑気な息子の鼻歌……。そんな夕ぐれにどうか幸ひがあってくれるように……。それから学者やおあつらへ向きの芸術家や賑やかで饒舌な権威者たち。どうかこんな寂かな夕ぐれだけは君達の胸くその悪いお喋言をやめてくれるように……。》    (初期ノート「覚書 I・夕ぐれと夜との独白」より)

注意して読む必要がある。吉本隆明のこういった書付は実体ではないということだ。人間の普遍的な営みを抽象化し、さらに比喩化し、《原像》として表現しているということだ。《……生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数のひとたち》の営みという本質が、至上の価値を有していると断じる若き日の吉本隆明。その対極に《学者やおあつらへ向きの芸術家や賑やかで饒舌な権威者たち》を置く彼の思想は、やはり人間の普遍的な価値を根源的なところで捉えているのではないだろうか。もちろんこの表現も実体ではなく比喩であると考えるべきである。平凡より非凡に価値を見出しがちな昨今だが、人間の営みの本質は、やはり、もの言わず営々として自らの生活を生き続ける人々の原生的な在りようそれ自体なのではなかろうか。吉本隆明のような、並外れた異才が、このような視座から自らの思想を構築していった事を、私たちは再度確認しておくべきで、その意味は果てしなく大きいと思う。

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