近況2題「大八忌と偲ぶ会」

6月18日は、毎年参加させて頂いている「大八忌」のため、天童市にある妙法寺・観月庵に足を運んだ。いつも楽しみにしている講話、今年は近年見つかった吉田大八の書状のこと。近藤守利氏が2年を要して翻刻した新発見の書状で、なかなか進まない藩政改革にいらだっている若き吉田大八の心情が綴られている。そればかりではない。明和4年(1767)、山県大弐事件に連座し、上州小幡から高畠に移封させられた織田藩の、未だ果たされていない名誉回復を幕府に訴える内容も記されていて、当時の天童藩内の事情と課題を、改革派と守旧派の対立構造のなかで浮き彫りにするような内容の書状。大変興味深い講話であった。
天童でタウン誌「ひろば」を長年出し続けている鈴木実氏も参加されていて、久しぶりにお会いできて嬉しかった。つい、「吉田大八」についての原稿にトライしてみることを約束してしまった。責任を果たせるだろうか。

そして、もうひとつは、4月10日付のブログ「斎藤暹氏の死」に書いたことと関連すること。

   斎藤暹氏の死

家族葬のため、葬儀に参列出来ず、なんとなくスッキリしない気分を抱えていた面々から自然にわき上がっていた「偲ぶ会」開催の話が、「斎藤暹(のぼる)さんを偲び一杯飲む会」というネーミングでようやく実現した。故人にさんざん世話になった者として小生も参加させて頂いた。6月20日、山形市七日町の「割烹丸喜多」を会場に、「山形文学」同人の方々や「山形新聞」の関係者など、生前交流のあった30名ほどの集まりであったが、なかなか味のある会となった。参加者全員が、それぞれ2分を目安に、故人との付き合いのなかで垣間見た暹さんの、思い出に残るエピソードを語り合う時間は、故人の人となりをより深く知るとても貴重なものであった。故人を多面的に知り得たことはもちろんだが、ものを書くということの意味について、初心に帰って考えるいい機会ともなった。

どちらも、家にこもっていては得られない、その場でしか体験できない刺激となった。それぞれの主催者に感謝したい。

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