午前中、間断なく小雨が降っていたが、菩提寺である浄光寺へ彼岸の墓参りに行って来た。天候具合、時間帯のせいもあってか、さすがにあまり人影はなかった。自家の墓、親戚の墓の数カ所を廻り、最後に、〈無縁仏〉を一カ所に集めたエリアに移されてしまっている「山村求馬(弘章)」の墓をお参りし、帰って来た。 「山村求馬(弘章)」は、幕末の慶応四年(1868)七月、戊辰戦争にお …
続きを読む午前中、間断なく小雨が降っていたが、菩提寺である浄光寺へ彼岸の墓参りに行って来た。天候具合、時間帯のせいもあってか、さすがにあまり人影はなかった。自家の墓、親戚の墓の数カ所を廻り、最後に、〈無縁仏〉を一カ所に集めたエリアに移されてしまっている「山村求馬(弘章)」の墓をお参りし、帰って来た。 「山村求馬(弘章)」は、幕末の慶応四年(1868)七月、戊辰戦争にお …
続きを読む勝てない状態が続いているモンテディオ山形なのだが、とくに失点の仕方が気になる。虚をつかれるようにフリーで蹴り込まれるシーンが多い印象だ。前節の京都サンガFC戦の前半ロスタイムの失点は絵に描いたような象徴的なものだった。 気持ちを切り替えて、最終節まで果敢に戦い、優勝でJ1昇格を果たして欲しいものである。 9月23日(日) 16:00 ザ …
続きを読む良い悪いは別。新聞の書評欄で取り上げられると、その本は書店での動きを活発化させる。比喩的に言えば、載ると載らないとではまさしく月とスッポン。この現象を逆から考えてみると深刻な問題が隠されている事を知る。本は、その初動において、内容で売れたり売れなかったりしてるわけではないということになる。メディアに露出したかしないか、この外的な要因が、その本の市場的な意味 …
続きを読む上山・経塚山文学散歩道に金子萬嶽の句碑が建っている。萬嶽は享保14年(1729)上山に生まれ、寛政6年(1794)江戸に出て、麻布広尾野に草庵を結び、俳人となった人物である。 『上山市史』中巻・第六章に「藩の重職にあった金子六左衛門清英が職を辞して野に下り、古調庵萬嶽と号して俳諧の宗匠となり…」と記されている。他にも郷土史関係の資料にはけっこう多く紹介さ …
続きを読む子どものころ、日本が真ん中に位置していない世界地図を初めて目にしたとき、妙な気分になったことがあった。比較的最近になってからも、スペースシャトルから撮影した地球の映像をテレビで見る機会があったが、その時も、長年慣れ親しんだ東西南北の座標軸があくまでも仮りのものでしかないことを、ズシリと追認させられた。感覚が慣れるまで、地球のどの辺りが映し出されているのかさ …
続きを読む人は黙っていると何も言いたいことがないとみなされがちだ。そして「ことば」にならないかたまりを呑み込んだままぼーっとしていると、この世の習わしでは、おおむね同意したものとみなされてしまう。ちょっと待ってくれ、と心の中で叫んでももう遅い。そこにはちゃんと「黙契」ということばが用意されている。辞書をみると「暗黙の間に成り立った、意志の一致または契約」というもので …
続きを読むここ2週間ばかり一日中惰眠をむさぼっているだけの我が家の猫3匹。「ヒーコ」「ノブ」「キョト」。エサを喰うとき以外、少しでも涼しいところを探し、内外(うち・そと)問わずあっちでダラリ、こっちでゴロリ。 私は日中、事務所で仕事をしているのでその間の状態は確認できないが、もしかして移動時間をのぞくとほとんどが睡眠時間だったはずだ。そのものぐさ然とした3匹のうち …
続きを読むある分野で新しく挑戦を始めると、そこには既成事実や一般常識として君臨している〈知〉の蓄積された貯蔵庫がみえてくる。当然そこには睨みをきかせる管理者がいて、世間では彼のことを〈権威者〉と呼んでいる。彼はまたその周辺に多大な影響力を保有し、ひとつの勢力のなかでカリスマとして君臨している場合が多い。そんな環境下で、挑戦を始めたばかりの新参者が、〈権威者〉の説を覆 …
続きを読む早いものだ。もう残りは13試合のみ。次節(8月22日)はアウェーで、城福浩監督率いる現在首位のヴァンフォーレ甲府戦。ファンとしてはぜひ勝って首位との勝ち点差を詰めておいてもらいたい局面である。昇格戦線だけの視点でみればまさしく次節は正念場。下に表示した順位表は8月19日現在のものだ。 1位 甲府 57 +19 2位 京都 55 …
続きを読む人間の生涯を仮に88年としてみる。そのうち55年は〈往路〉(イケイケ期)、33年が〈復路〉(マテマテ期)に該当するような気がする。無我夢中で己の世界を拡げ、突っ走るだけつっぱしるのが〈往路〉で、ある日、ふと老の感覚に直面し、彼岸へうっすらと死のイメージを抱きながら生き始める時間を〈復路〉と考えるとき、まさしく往きはよいよい復路(かえり)はこわい、なのだ。〈 …
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