友の死

早過ぎるという言葉もどこか違う。かといって十全に自分のやろうとしたことを成し遂げた後の死であったのかどうか、それは逝ってしまった本人にしかわからない。人の死とはつねにそう言うものかもしれないとしみじみ思う。平成24年12月9日、蔵六面工房主宰・木村蔵六氏逝去。享年62。 友の死は、わたしたち生きている者に、一瞬一瞬の時間の貴さを告げてくる。小生にはとても死者 …

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「まち塾」通信ー1〈出現〉

このたび「まち塾」なる生涯学習型の講座を知人のT氏が立ち上げた。キャッチフレーズは「誰もが講師、誰もが塾生」。趣旨は下記「まち塾」チラシを参照してみて下さい。講座は月1回〜2回のペースで開講する予定とのこと。興味のある方はご参加ください。スケージュールが更新され次第このページに随時掲載しますので、時々覗いてみて下さい。 まち塾ーチラシ 書肆犀も協力しておりま …

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詩:無言歩行の唄—2012年

この詩を最初に書いたのが1976年だから、それから36年になる。毎年読み返し、その時々の心象で改稿したり、削除したり、加筆したりしている。2012年のどんづまりの時期に2012年ヴァージョンを掲載させていただくが、この36年、筆者の心象世界はあまりにも変わらない。そのこと自体、良いことなのか、悪いことなのか、自分には皆目わからない。 *     *      …

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「香月泰男遺作展」を思い出す

 テーマを超えた表現の深淵にふれて  小学校にあがる前のわずかな期間、父のすすめで絵画教室に通ったことがあった。それから六十三歳になってしまった現在まで、絵画とは不思議な関わりを持ち続けてきたように思う。  絵を描くことがことさらに好きでも上手でもなく、ましてや高校時代には美術部に籍を置きながら、ロック・バンドに夢中になっていた変なじぶんを振り返ってみても、 …

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プロとアマの境界とは?

 どんな領域のことでも、職業をもつかたわら地道に表現活動を持続することは大変なことである。でも、いったん、表現として他者の目(あるいは耳)にさらされるとき、その表現者がおかれている境遇など一切がどうでもよいことがらである。その表現者がプロかアマかなどのっけから問われるとしたら、せいぜい太鼓持ち間にのみ流通する密室的な暗号にすぎまい。  しかし、一個の表現者に …

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今、書いておきたいこと

 それにしても、最近のテレビの画面から飛び出してくるニュースは凄い。原発事故による廃炉作業員への特別手当が、幾重もの下請け構造の中に吸収され、現場作業員には渡っていなかったというとんでもない話。一家惨殺、通り魔、他人のパソコンを遠隔操作してなされる犯罪も出て来ている。世界に目を向けても、性懲りもなく繰り返されるイスラム教原理主義者とキリスト教原理主義者との国 …

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赤報隊メモ・補

 クーデターと言ってよい「王政復古」の失敗のあと、西郷隆盛の命令で、旧幕府勢力を挑発するための江戸市中撹乱策動に利用され(薩摩藩邸焼き討ち事件を誘発)、その後「偽官軍」として処断された「赤報隊」。その組織概要について調べたとき、1番隊=相楽総三グループ、2番隊=御陵衛士グループというように、そこまではそれなりに納得出来たのだが、3番隊の構成メンバーがどうして …

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郷土の歴史について

 戊辰戦跡を巡って長岡市と小千谷市に行ってきた。驚いたことに、長岡市内には「河井継之助記念館」のみならず「北越戊辰戦争伝承館」という立派な施設があり、そこでは、ジオラマ上で長岡城攻防戦の全貌を音声入りで学習出来るようになっていた。そのほかにも、市内にはさまざまな碑や史跡があり、それぞれに標識や表示板も完備し、訪ねる者は不満を感じることなく巡回出来るようになっ …

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詩人とポエジーと読者

 詩を書く人を詩人という。それは言わずもがなのことだ。だがそれに加えて、わたしは、詩を読む人も詩人なのではないかと思っている。では、詩を書いている人は〈何を〉表現しようとして詩を書いているのだろう。また、詩を読もうとする人は〈何を〉受け取ろうとして詩集のページをめくるのだろう。もちろん十人十色であることは分かり切っている。  正直に印象を記せば、そのような純 …

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最近の「幕末維新」本

 『明治維新という過ち』原田伊織著、『「朝敵」たちの幕末維新』新人物往来社編が相次いで刊行され、これまで定説化されてきた薩長史観による歴史記述の内容が積極的に再検討され始めている観がある。もちろんこれまでも数多く「敗者」の視点から書かれた幕末維新論はあったが、それらは部分的な修正作業にとどまっている印象にあった。が、正史自体を根底から書き直そういう意欲によっ …

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