映画「賊にはあらず」

連休の一日、白石城周辺を散策してきた。こじんまりとしていたが正真正銘復元された城で、当時の面影を今に伝える貴重な建造物である。さすがに片倉小十郎の土地らしくそちこちに「小十郎」と染め抜かれた幟が風になびいているのが目につく。そして近くには堰があり、清らかな水の流れのなかで金魚草が気持ちよさそうに揺れているのが見えた。また、その傍には、片倉家中の武家屋敷も一軒 …

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批評と中傷のちがい

 批評は自己責任において自由に表現されてしかるべきものだ。ただし、書き手の意識し得ない所で、そのことによって傷ついたり、思い悩んだりする人が生まれるとすれば、批評的言語でさえいつでもひとつの暴力になり得る。ありとあらゆる配慮をもってするのが批評ということになろう。もちろん、批評は作品自体に向かって放たれる言語で、人格を攻撃するものでない以上、批評的言語の抑圧 …

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来年の大河ドラマ

 「八重の桜」。はたしてどんなドラマになるものか。「龍馬伝」の、時代背景に対する作りの薄っぺらさにはとてもがっかりしたものだが、今度のテーマはその時以上に難しいだろうと思われる。なにせ、朝敵とされ、賊軍の女性兵士として生き延び、その後新時代をも生きぬいた女性を描くわけだから。会津藩が朝敵としておとしめられていく背景・プロセスの描き方によって、このドラマの作品 …

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墓参りと〈無縁仏〉

午前中、間断なく小雨が降っていたが、菩提寺である浄光寺へ彼岸の墓参りに行って来た。天候具合、時間帯のせいもあってか、さすがにあまり人影はなかった。自家の墓、親戚の墓の数カ所を廻り、最後に、〈無縁仏〉を一カ所に集めたエリアに移されてしまっている「山村求馬(弘章)」の墓をお参りし、帰って来た。 「山村求馬(弘章)」は、幕末の慶応四年(1868)七月、戊辰戦争にお …

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残り8ゲーム

 勝てない状態が続いているモンテディオ山形なのだが、とくに失点の仕方が気になる。虚をつかれるようにフリーで蹴り込まれるシーンが多い印象だ。前節の京都サンガFC戦の前半ロスタイムの失点は絵に描いたような象徴的なものだった。  気持ちを切り替えて、最終節まで果敢に戦い、優勝でJ1昇格を果たして欲しいものである。     9月23日(日)    16:00   ザ …

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本が売れる、売れない。

 良い悪いは別。新聞の書評欄で取り上げられると、その本は書店での動きを活発化させる。比喩的に言えば、載ると載らないとではまさしく月とスッポン。この現象を逆から考えてみると深刻な問題が隠されている事を知る。本は、その初動において、内容で売れたり売れなかったりしてるわけではないということになる。メディアに露出したかしないか、この外的な要因が、その本の市場的な意味 …

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金子萬嶽の謎

 上山・経塚山文学散歩道に金子萬嶽の句碑が建っている。萬嶽は享保14年(1729)上山に生まれ、寛政6年(1794)江戸に出て、麻布広尾野に草庵を結び、俳人となった人物である。  『上山市史』中巻・第六章に「藩の重職にあった金子六左衛門清英が職を辞して野に下り、古調庵萬嶽と号して俳諧の宗匠となり…」と記されている。他にも郷土史関係の資料にはけっこう多く紹介さ …

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角度と座標軸

 子どものころ、日本が真ん中に位置していない世界地図を初めて目にしたとき、妙な気分になったことがあった。比較的最近になってからも、スペースシャトルから撮影した地球の映像をテレビで見る機会があったが、その時も、長年慣れ親しんだ東西南北の座標軸があくまでも仮りのものでしかないことを、ズシリと追認させられた。感覚が慣れるまで、地球のどの辺りが映し出されているのかさ …

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沈黙について

 人は黙っていると何も言いたいことがないとみなされがちだ。そして「ことば」にならないかたまりを呑み込んだままぼーっとしていると、この世の習わしでは、おおむね同意したものとみなされてしまう。ちょっと待ってくれ、と心の中で叫んでももう遅い。そこにはちゃんと「黙契」ということばが用意されている。辞書をみると「暗黙の間に成り立った、意志の一致または契約」というもので …

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猫とカミナリ

 ここ2週間ばかり一日中惰眠をむさぼっているだけの我が家の猫3匹。「ヒーコ」「ノブ」「キョト」。エサを喰うとき以外、少しでも涼しいところを探し、内外(うち・そと)問わずあっちでダラリ、こっちでゴロリ。  私は日中、事務所で仕事をしているのでその間の状態は確認できないが、もしかして移動時間をのぞくとほとんどが睡眠時間だったはずだ。そのものぐさ然とした3匹のうち …

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