研究者の文体とその社会性

わが国の歴史を研究している専門的な学者や研究者は、その研究の対象としている時代や年代ごとに数多く存在している。そして研究発表も学会の機関誌(紙)や大学の紀要、また専門書の出版をとおして毎年数えきれないほど公にされている。しかし、その多くは狭いアカデミズムの中で細々と読まれ、一部のディープなムラ社会の中で流通しているというのが現状に近い。せっかくの研究成果もな …

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あらためて「庄内藩征討」の理由を巡って

本間勝喜氏の論文「慶応4年庄内藩の村山郡『預地』支配(上)」でその根拠を失ったかにみえる「寒河江・柴橋の米蔵から庄内藩が勝手に持ち出した新政府の財産である2万3千俵の米」説の、そもそもの出どころを調べていたが、大正6年刊の大冊『慶應戊辰奥羽蝦夷戰亂史』佐藤浩敏著(東北史刊行会刊/写真は、マツノ書店が400部限定で平成20年に復刻刊行したもの)に、もしかしたら …

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金子与三郎の脱藩未遂事件と吉田寅之助

上山藩士金子与三郎が脱藩を試みた折、親友中村祐右衛門に託そうとした書状の現代語訳が紹介されている。 「一書、残しおきます。御存知の通りごく懶惰(らんだ=怠けるの意:引用者註)の上、多病で大役をつとめているが君恩の万分の一にも報いることが出来ず、このままでは商人も同様で、ただただ禄をむさぼるようなものです。これによる不孝不忠の罪は免れませんが家には相続の者が無 …

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斗南・野辺地・函館をめぐる(2)

今日(11月9日)の函館ライブカメラを覗いたら雪景色。3日〜5日までの比較的好天の旅はまったくスリリングな日程だったことになる。 さて、11月4日、朝早く車のナビにフェリー乗場の情報をインプット。午前10時出発のフェリーだったが、乗船手続きやら何やらがあり1時間前の9時にはターミナルに着いていなければならない。不慣れな土地での運転はナビがあるとはいえ何がおこ …

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斗南・野辺地・函館をめぐる(1)

今年最後になるだろう「戊辰戦跡巡り気まま旅」は、斗南・野辺地・函館方面と決め、11月3日・4日・5日の3日間駆け足で廻って来た。事前の天気予報では函館方面は《雪》とのことだったが、この機会を逃せば来春まで不可能と判断し、スタッドレスタイヤを車のトランクに詰め込んでの旅となった。3日早朝、ひたすら東北自動車道を北上、三沢市にある斗南藩関連の「先人記念館」を目指 …

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「野辺地」行のまえに

上山藩も関わった「長岡山の戦い 」 寒河江市本町の陽春院(フローラさがえ附近)に桑名藩士19名と唐津藩士1名を合祀した墓碑がある。これは七回忌にあたる明治8年7月旧桑名藩主松平定敬と旧藩士24名によって境内に建立されたもの。 戊辰戦争の末期、新政府軍に圧された旧幕府軍および瓦解状態の奥羽越列藩同盟軍が各地で後退戦を余儀無くされ、全面降伏へと至る最終局面で起き …

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さて、何処にしよう?

戊辰戦跡巡り、次は「野辺地」に行ってみようかな……。 明治元年(1868)9月23日に起こった野辺地(のへじ)戦争は、たしかに奥羽越で繰り広げられた内戦=戊辰戦争の戦いの一局面ではあったが、実に奇妙な戦いであったといえる。 その前哨戦は9月10日に起こった。新政府軍による艦砲射撃であった。秋田藩の軍艦春陽丸に乗船した佐賀藩士中牟田倉之助が野辺地に駐留する南部 …

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書肆犀:新刊図書2冊

井上宏子歌集『ゆかり』
2016年9月1日刊 A5判 108頁 定価/1,500円(税別) 昭和5年(1930)2月28日 山形県東置賜郡宮内町(現南陽市)横町に生まれる。祖父は嵐田亀吉(宮内生)。祖母はやそ(旧姓結城 高畠二井宿生)。父仲蔵(旧姓岡崎 山形市南舘生)は左官屋嵐田組、母タキ(旧姓石川 長井市成田生)は髪結屋結城屋を営んでいた。 宮内女学校在学 …

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《縁は異なもの味なもの》

9月8日(木)、台風13号くずれの温帯低気圧が東北地方の太平洋側を縦断し、さすがに荒れ模様の天候となった。その日、仙台市青葉区本町にある江陽グランドホテルにおいて「東北ブロック老人福祉施設研究会」が開催され、小生は、不思議な縁が重なって「みちのくの明治維新~なぜ奥羽越は賊軍と呼ばれるようになったのか〜」というテーマで、大会の記念講演をやらせて頂く機会に恵まれ …

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