永山一郎詩集『地の中の異国』復刊!

 6月13日付で、その噂話を掲載させて頂いた、幻の永山一郎詩集『地の中の異国』が本当に復刊された。 B6判 全102頁 上製本 表紙カバーに銀の箔押しで、蔦谷榮三氏の筆によるタイトルが置かれ、平(ひら)全体には発行者である鈴木満氏の彫刻「Nへのオマージュ」の写真がマウントされている。  詩集本体はオリジナル版(季節社刊)の誤植を正した以外はそのままとのことだ …

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現在に繋がる時間

  幾時代かがありまして   茶色い戦争ありました  これは私の好きな詩人中原中也の「サーカス」という作品の冒頭だが、私たちの遙か彼方の祖先にまで続く時間の繋がりを感じさせる詩行である。  わが国の幕末期、薩摩藩に西郷隆盛という策士がいて、相楽総三ら攘夷派の浪士たちに武装集団「赤報隊」を組織させ、旧幕府陣営を挑発し、武力倒幕の口実をつくろうとさんざん江戸市中 …

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好奇心のこと

 ひとつのことを調べる。するとそれ自体についてはある程度の理解に至る。ところが、そのことを説明している内容に、新たに不明のことが紛れ込んでくる。もちろん、それらをも調べ始める。すると、ねずみ算的に不明のことが膨れ上がっていくことになる。知ることは、じぶんがいかに何も知らないでいるかを知ることでもあることに気づく。好奇心という名の自己析出作業と言い換えてもいい …

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木村迪夫詩集『飛ぶ男』

 巻末に紹介されている既刊図書を数えたら、記載漏れがないとすれば、この度の詩集『飛ぶ男』は25冊目の著書であるようだ。「詩集」のみならず「エッセイ集」、「ルポルタージュ」、「小説」とそのジャンルも多岐にわたっている。毎年1冊上梓したとしても25年を要する。これはとにかくすごい数字で、なによりもその健筆ぶりに驚かされる。  ものを書くという行為は、はたして誰に …

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毎日書く理由について

 このコラムというか小文を書き始めて約半月になる。内心、これからも毎日書こうと思っている。三日坊主に終わる心配もしていたが、よく続いている。日記をつけたことのない自分がなぜこうもして書き続けようとしているのか、それには理由がある。  毎朝4時には目が覚めてしまう。そして年齢とともにその目覚めの時刻は早くなっている。着替えて今日の準備にさしかかるのがせいぜい6 …

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詩一篇「自画像」

     自画像      大気の薄い流れはぼくである      ことばのゆがみや      地勢のちょっとした凹凸に躓くのも      ぼくである      液状化したモラルの銀河で      明日を計りかね      塵のように彷徨っているのはぼくである      絡みあう雲の怪しさ      祖父たちの歴史の音いろ      すべては浮遊し       …

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勝点3はやはりいい

 駐車場から出るときの運転マナーというか雰囲気がまるでちがう。負け試合の時は皆エゴっぽくなるのだが、昨夜のような勝ゲームの時は「譲り合いの精神」がみなぎり、スムーズだ。  辛勝とはいえ、けっこう体をはった印象が強く、走ってもいたし、まあ満足。徳島ヴォルティスを率いる小林監督のサッカーは、パスをつなぐシーンもあったが、どちらかというと長身のドウグラスに遠目から …

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特急「つばさ」に魅せられて

 霞城セントラル1階の「やまがた観光情報センター」で開催されているミニ写真展に行ってきた。「山形新幹線開業二十周年」に合わせて開催されている、橋本秀樹氏の作品展である。彼は桁外れの特急「つばさ」ファンで、開業し自分が院長でもある病院にまで「つばさ」の名を冠しているほどだ。学生時代(山大医学部)、「鉄道愛好会」(正式名称は不明)に参加し、それ以来ずっと鉄道関係 …

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〈半夏生〉

半夏生(はんげしょう)。音感のすてきなことばである。七十二候の一つで、夏至から十一日目、新暦では七月二日頃にあたるのだそうだ。そのころ、紅花が一輪だけぽっと咲くことを、昔の人はこのように表現したとされている。 川霧の多く立ちこめる山形の内陸性気候・風土に、今でこそしっかり根をおろした感のある紅花だが、原産地はいったい何処か。研究者たちが差し出してくれているカ …

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斎藤茂吉の感性曲線

昨日、歌人についてふれたので、もうひとつ。 斎藤茂吉を「歌聖」と呼ぶ人たちがいるが私にはどうも馴染めない。だれもが認めるように短歌を詠んだら天下一品、だが普段はどこにでもいるちょっとムンツンな爺さん、つまり人間茂吉、それでいいような気がするからである。作品を時系列で読んでみると、混濁した茂吉の心性と出合い、対象はなにも「短歌を詠む聖人」などではない、私たちと …

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