金子与三郎と吉田大八

歴史ロマンを新たなイベントにできないものでしょうか? 上山藩・金子与三郎と天童藩・吉田大八。 ともに家老にまで昇りつめた俊英。 幕末の上山藩士金子与三郎と天童藩士吉田大八は若い頃よりとても仲がよく、一緒に鍋をつっつきながら酒を酌み交わし時勢を語り合っていたという。ご存知の通り、両者は晩年にともにそれぞれの藩の家老に抜擢されたものの、無念の最期を遂げている。資 …

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「ふるさと散歩」講演動画がアップされました。

2022年11月26日(土)に開催されました上山市立図書館主催の「ふるさと散歩」講演動画がフル・タイムでアップされました。下記URL(青色文字をクリックしてください)にて公開しておりますので、宜しかったらどうぞ。当日会場にて配布させていただいた資料もお読みいただけます。 ただし、約90分の講演ですが、大変申し訳ございません、途中1分ほど機材のトラブルがあり、 …

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上山市立図書館「ふるさと散歩」のご案内

上山市立図書館「ふるさと散歩」において講演を行うことになりました。テーマは、まだ誰も書いたり語ったりしたことのないと思われる「藤井松平宗家〈改易〉の謎」についてです。どこまで追えるのかこころもとないのですが、頑張ってみたいと思います。 日時は2022年11月26日(土) 14:00~15:30 定員40名程度(要事前予約) ところで、先日2022年11月5日 …

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藤井松平氏の盛衰に関する私論

寛政年間(1789年—1801年)に江戸幕府によって編纂され、文化9年(1812年)10月に完成した1,530巻にも及ぶ大名や旗本の膨大な家譜集がある。いわゆる『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』である。それによると藤井松平氏は「14松平氏」の1つの譜代大名にかぞえられている。 その藤井松平氏だが、隆盛期(下総国古河時代=現在の茨城県古河市)に …

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幕末史の落丁を埋める VI 雲井龍雄

山形新聞 2022年3月1日に(上)、2日に(下)が掲載されました。 VI   幕末史の落丁を埋める 雲井 龍雄(全)   「幕末史の落丁を埋める」シリーズ・バックナンバー I   赤松 小三郎 (2019年4月2日・3日   「山形新聞」) II   吉田 大八 (2019年8月7日・8日   「山形新聞」) III  玉蟲左太夫 (2020年1 …

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ふたたび《戦争》について

愚かなことだと解り切っていても始めてしまう…。 どうして、〝やらない〟という判断が難しいのだろう? それが戦争の恐ろしさなのかもしれませんね。 いかなる口上を積み上げても 戦争には正義も理性もありません。 あるのは暴力・破壊・殺戮であり、 もっとおぞましい狂気だけです。 そしてその狂気がつづくと、 善悪の感覚が次第に麻痺しはじめ、 熱狂していくのです。 命令 …

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講演中止のお知らせ

◆お知らせ◆ 2月19日(土)予定の「上山城歴史講座」〝もう一つの藤井松平家、二人の俊英〟は、1月26日(水)〜2月20日(日)までの新型コロナ感染症に関する《山形県まん延防止措置》の期間と重なりますので、大変申し訳ございませんが中止となりました。 悪しからずご了承下さい。

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講演のお知らせ

《ごあんない》 「もう一つの藤井松平家、二人の俊英」をテーマに、きたる2月19日(土)午前10時~11時30分  上山城郷土資料館にて講演させていただくことになりました。 「日米和親」「日米修好通商」両条約の締結にむけて数多の政敵と戦いながら、わが国近代化への道筋をつけた時の老中・松平忠固(ただかた)。そして慶応3年5月、2局制の国民議会構想のみならず議院内 …

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津田左右吉『明治維新の研究』

知人が新聞広告を見て「知ってた?」って教えてくれた。津田左右吉が「幕末論」を書いていたことすらまったく知らなかった。読んでみたいと思いすかさずゲット! 写真左下の文言、出版社が購買を煽るために書いたコピーかと思って読んだら、なんと津田左右吉自身が書き込んだ表現だったことを知りまたまた驚いた。 《明治維新、またそれに引き続いて歴史的に次第に展開せられてきた明治 …

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連詩「暗愚小伝」を書いた高村山荘

連詩「暗愚小伝」を書いた高村光太郎に、学生時代感銘をうけた。 このたび遠野、花巻を巡ってきたが、 まったく予定していなかった高村光太郎の通称「高村山荘」と、 さらに高村光太郎記念館を訪れる機会に偶然にも恵まれ、 2時間ほど立ち寄ってきた。 高村光太郎は、東京大空襲で疎開を余儀なくされ花巻へ。 そしてその花巻でも空襲に遭い、さらなる山奥の大田村山口に移り、 7 …

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