討薩檄 薩摩は、最初攘夷を主張して、幕府の開国を貶めて批判していたのに、自分が権力を握ると開国を主張し始めた。なんの一貫性もなく、当初攘夷を主張していたのは自分の野望を遂げるためであった。この罪を問わなくてはならない。 日本には、海外からの危機はあるといっても、日本固有の制度や歴史がある。しかるに、薩摩が専制権力を握ってから、あまりにも急激で無理な改革を推し …
続きを読む討薩檄 薩摩は、最初攘夷を主張して、幕府の開国を貶めて批判していたのに、自分が権力を握ると開国を主張し始めた。なんの一貫性もなく、当初攘夷を主張していたのは自分の野望を遂げるためであった。この罪を問わなくてはならない。 日本には、海外からの危機はあるといっても、日本固有の制度や歴史がある。しかるに、薩摩が専制権力を握ってから、あまりにも急激で無理な改革を推し …
続きを読む注目!『孝明天皇の毒殺説の真相に迫る』 仙台在住の医師・橋本博雄氏が孝明天皇病死(痘瘡)説を、医学的な視点から完全に否定する論文を著し、それに着目した直木賞作家の中村彰彦氏は近著『孝明天皇の毒殺説の真相に迫る』(2023年8月25日刊:中央公論新社)において、その論文を紹介しながら、孝明天皇に置毒(薬湯にヒ素を混入)した女官を追っている。 氏は以前にも『幕末 …
続きを読む⬆️ 記事をクリックすると拡大表示されます。 〈参考資料〉山村求馬(弘章)について 小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、すかさず天正18(1590)年、徳川家康を関東へと封じた。その際、三河の松平一族(14松平氏)の中には家康の移封に帯同し、関東一円に移るものも少なくなかった。その一団に松平利長(としなが)を中興の祖とする藤井松平 …
続きを読む歴史ロマンを新たなイベントにできないものでしょうか? 上山藩・金子与三郎と天童藩・吉田大八。 ともに家老にまで昇りつめた俊英。 幕末の上山藩士金子与三郎と天童藩士吉田大八は若い頃よりとても仲がよく、一緒に鍋をつっつきながら酒を酌み交わし時勢を語り合っていたという。ご存知の通り、両者は晩年にともにそれぞれの藩の家老に抜擢されたものの、無念の最期を遂げている。資 …
続きを読む2022年11月26日(土)に開催されました上山市立図書館主催の「ふるさと散歩」講演動画がフル・タイムでアップされました。下記URL(青色文字をクリックしてください)にて公開しておりますので、宜しかったらどうぞ。当日会場にて配布させていただいた資料もお読みいただけます。 ただし、約90分の講演ですが、大変申し訳ございません、途中1分ほど機材のトラブルがあり、 …
続きを読む上山市立図書館「ふるさと散歩」において講演を行うことになりました。テーマは、まだ誰も書いたり語ったりしたことのないと思われる「藤井松平宗家〈改易〉の謎」についてです。どこまで追えるのかこころもとないのですが、頑張ってみたいと思います。 日時は2022年11月26日(土) 14:00~15:30 定員40名程度(要事前予約) ところで、先日2022年11月5日 …
続きを読む寛政年間(1789年—1801年)に江戸幕府によって編纂され、文化9年(1812年)10月に完成した1,530巻にも及ぶ大名や旗本の膨大な家譜集がある。いわゆる『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』である。それによると藤井松平氏は「14松平氏」の1つの譜代大名にかぞえられている。 その藤井松平氏だが、隆盛期(下総国古河時代=現在の茨城県古河市)に …
続きを読む山形新聞 2022年3月1日に(上)、2日に(下)が掲載されました。 VI 幕末史の落丁を埋める 雲井 龍雄(全) 「幕末史の落丁を埋める」シリーズ・バックナンバー I 赤松 小三郎 (2019年4月2日・3日 「山形新聞」) II 吉田 大八 (2019年8月7日・8日 「山形新聞」) III 玉蟲左太夫 (2020年1 …
続きを読む愚かなことだと解り切っていても始めてしまう…。 どうして、〝やらない〟という判断が難しいのだろう? それが戦争の恐ろしさなのかもしれませんね。 いかなる口上を積み上げても 戦争には正義も理性もありません。 あるのは暴力・破壊・殺戮であり、 もっとおぞましい狂気だけです。 そしてその狂気がつづくと、 善悪の感覚が次第に麻痺しはじめ、 熱狂していくのです。 命令 …
続きを読む◆お知らせ◆ 2月19日(土)予定の「上山城歴史講座」〝もう一つの藤井松平家、二人の俊英〟は、1月26日(水)〜2月20日(日)までの新型コロナ感染症に関する《山形県まん延防止措置》の期間と重なりますので、大変申し訳ございませんが中止となりました。 悪しからずご了承下さい。
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